──葛飾北斎の赤富士をモチーフにした「富士山」ナンバー(富士吉田市、富士河口湖町、西桂町、忍野村、山中湖町、鳴沢村、道志村)ですが、きっかけは「ご当地ナンバー」だとお伺いました。
堀内その通りです。2005年に地域おこしや観光客誘致を目的に独自の地名を定められるようにした「ご当地ナンバー」制度ができ、地域活性化のきっかけにしたいわれわれにとって「富士山」ブランドを確立するチャンスと応募しましたが、そのときは山梨県側だけでは登録台数10万台という規定に足りなかったため、静岡県(静岡県富士市、富士宮市、御殿場市、裾野市、小山町)と共同で応募しました。しかし、当時、国土交通省からは対象地域が複数の運輸支局(山梨県は関東運輸局、静岡県は中部運輸局)をまたがり行政手続きの影響などについて慎重に検討を行う必要があるとして導入は見送られました。われわれとしては「どうしても『富士山』でやりたい」という強い思いがあり、引き続き国へ強く要望を続け、ようやく08年になって山梨県と静岡県の両県にわたって「富士山」ナンバーが認められることになりました。それから「富士山」ブランドとして地域を売り出すことで地域全体がまとまり、11年に富士急の富士吉田駅も「富士山」駅と駅名が変更され、13年には「富第2 章 首長に聞く士山信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産にも登録され、大きくブレイクすることができたと思います。それまで静岡県側の自治体とはほとんど交流はありませんでしたが、「富士山」ナンバーを縁に新たに交流する機会も生まれました。
──その後、18年に図柄ナンバープレート(地方版)第1 弾として導入され、普及率全国トップの人気を誇りますが、堀内市長はこうした状況をどのように見ておられますか。